ビョーキのヒコーキ
2001
鉄、塩化ビニル、
w3900mm h1240mm d1980mm
Sick airplane
2001
Iron, vinyl chloride,
w3900mm h1240mm d1980mm
美術をやっている人間にしか伝わらないような言葉は使いたくない。美術に特に関わりのない一般の人にも理解してもらえる作品づくりをしたい。
殺生2000,幸福論一号、また一円玉仏と連続してメッセージ性の強い作品を作り続けたのはそんな考えのあらわれだった。しかし、メッセージ性を強く前面に押し出そうとする中で、造形性というものが少しずつ押しつぶされていっていた。
メッセージを伝えるのに、造形性というものが邪魔になると考えていたのだ。バランスが崩れていたのだと思う。これらの作品は素材を置き換えた既製品の組み合わせだった。そんな流れの中、造形というものに対するあこがれが芽生え始めていた。
この作品では何も考えずに自分の感覚に主体をおき、極力手に仕事をさせた。つまり自分が今まで一番大切にしてきた、思考の力というものを放棄し、今まで抑圧し続けた造形性というものに主体をおいて制作した。
制作していて、人の目がやけに気になって造りにくかった。人から見たら自分の作品はどう見えているのかと。このことは造っていた時はいやだった。しかし、造形性を考えたとき、人の目が気になるのは、至極当然なことで自分が客観的になろうとしていることのあらわれでもある。
今まで伝えたいことが伝わればそれでいいと思っていた。そう考えているときは人のことなど気にならないのだ。ある意味、言いっぱなし。今までの作品はそういう部分が強くあったのではないかと思う。
自分の作品が自分の感覚が望まない方に向かい始めていたのを、手が仕事を求め、頭は考えることをやめるという形で修正しようとしたのかもしれない。