これは、一月の個展の時に、プロトタイプ的に造ってみたもの。
初お目にかけ作品。
したの壁のも新規にこさえた。
誰でもピカソ?とんでもない!
の搬入に行ってきました。
小品二点出してます。
これが 箱入り手も足もでない です。ラッカー研ぎだしで、アワビっぽい紋様を出してます。
プラ板、キリガネ、アルミ板を小さく切って、はりつけ、ビスっぽく見せるために、ゼリー状瞬間を楊枝でつけてく。
ここから、翼をやっつけて、さらにエンジン部を仕上げていって、いくつかのパーツを別で造って・・
やることいっぱい。
いやー予報当たったね。二十分ぐらい、凄まじい雨と雷、すこしヒョウがふった。
おかげで涼しい。
左はだいぶ進んだので、右も攻めていく。
ガンでホワイトサーフェイサーを吹いていく。
今週は仕事がほぼ無くて、今日行くだけ。
暑い週だった。アトリエはなんだか妙に活気があって、お茶室でだべったり、大学っぽい雰囲気を久々に味わった。能率は暑さもあって、イマイチだったけど。
今回の作品、ナンセンスな方に持ってこうとしてるんだよね。社会性と言う名で、ニュース的ソースを作品に盛り込んで、現実をこえるアイロニーや違った未来をインスパイアーできたらって思ってて、継続してそういった方向性で、きてたんだけど・・
ここ二年、現実の方が危険で予想外、予想できても、まさかそうならないだろうという方向に進んでいき、諦めというか、飽和というか先回りする気もおきないというか、そんな気分になっていて、リアリティーもって造っていこうとすると、方向性を振らざるを得ない。
ニューヨークのアーティストがnine_eleven以降、作品つくれなくなった人が増えたってのとは、全く違うと思うんだけどね。
喪失感とか、勿論あるんだと思うけど、ニューヨーク、しかもアーティストの場合って、どんな大きさのイリュージョンも成立しなくなったってことかなと思ってる。
僕の場合は現実への、うーん何て言うのかな、いや、現実からの一時逃避ってのが一番適切かな。社会への興味の減退とでも言うのかな。一時的なものだと思ってるけどね。
ハンス・ハーケとかの作品って、社会的規範が絶対的にある中で、それに反する事象を焙ることで成立してんのかなーなんて思って。
あくまで自分の解釈だけど、そっから引っ張ると、社会性の成立する前提が崩れかけてるように感じている。
あー長いな。もう新宿だ。
投光器でサイド光線にして。
この感じを全体にひろげていく予定。
完成イメージを膨らませるために、ちょくちょく見てみる。
離れてみたりね。